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「夢広場」
最近、ニューヨークのブルックリンにある公立学校の先生から、インターネットを通じて、私どものホームページ「地球の志」を課外授業の教材に採用したいとの、ご連絡をいただきました。遥か地球の彼方からのこうした声に、新しい時代の息吹を感じるとともに、一人の日本人として、感慨を覚えます。
といいますのも、三十五年ほど前から世界各地を訪れ、様々な見聞を重ねるなかで、想像を越える出来事に出遭ってきたからです。
そして、この期間を通して、未来に向けて、私達はどのように生きて行くべきか、可能性を模索してきました。
そうした体験の積み重ねによってでき上がったホームページですが、そのうち幾つかの体験をここで簡単に紹介したいと思います。
歴史、文化などの違いを乗り越えて
例えば、一九八六年に国連が提唱した「国際平和年」に、アジアについて共に学びたいと、中国の人々から声を掛けていただいたとき、ミャンマーとの国境の近くに住む、泰族の村へと出かけて行きました。
そこで出会った稲穂の光に似た人々の笑顔は、幾千年の時を超え、人間という生きものの持つ深い優しさや豊かな感受性を緑の少ない東京の街から来た私に呼び覚ましてくれました。
夜明けは、軽快な鶏の鳴き声で始まり、深い眠りから覚めた緑の野山や、所狭しと遊び回る仔豚たちは、清々しい太陽の光を浴び、生きる喜びを奏でているようです。
村長は、小川の流れのようなメロディーを、独身の男女は、小鳥がさえずるように愛の謳をうたいお客さまを迎えてくださいます。私達には、
子は眠り 眠る母
枯草の山 露に濡れ
山々は星を乗せ
きらめく星は せせらぎに
せせらぎは 山裾めぐり
夜は星を いつくしみ
わたしは帰る 元の世に
歌いながら 残りたい
といった「星の歌」が贈られました。
この中に、「いつくしみ」という美しい日本語を見つけた時は、その感動で生き返ったような心地でした。
でも、こうした平穏で牧歌的な日々の中にも、広大なアジア大陸でのことですから、気候風土や歴史や時代背景の異なる場所で生まれ育った何十もの民族の中には、喜怒哀楽の感情表現を、かなりの起伏と幅の広さで露にする人達がいます。このため、意見の食い違いから起こる、幾たびかの緊迫した場面に遭遇し、争いを止めようと近づこうものなら、こちらの心臓が幾つあっても足りないほどの衝撃を受けることがあります。
日本の気候風土と、その教えの中で育った私からすれば、直截的で飾り気のない振舞、力が漲る眼差しの数々。そうした勢いに押され、自分の精神がくずれないように、常に俯瞰するように自分を見すえ、精神を強く引き締めていかなければなりません。
とはいえ、ひとたび難問を乗り越えた暁には、えも言われぬ開放感と、深い信頼感が生まれます。平成八年、子ども達がより良い環境の下で勉強ができるよう、日中が共同して、見渡す限り続くとうもろこし畑の真ん中に、太陽熱吸収型の小学校を建設することができましたのも、様々な障壁を乗り越えた結果です。そして、、地球儀やノート、鉛筆などを、日本各地の人々の応援によって子ども達に送ることもできました。
それでも、いまだ六千万人近い子ども達が、良い環境の下での教育を待ち望んでいるとのことです。そこで私達は、広く社会に呼び掛けようと、教育番組を共同制作することにしたのです。こうして、互いに深く学び合うことから、真の自由と、平和を築く道へと近づいていくことができると私達は信じています。
国際人として必要なこと
昔、あるテニスの国際試合で、日本人選手が有利に戦っていたにもかかわらず、相手が転倒しそうになったとき、つい打ちやすい球を返したため、負けてしまったという話を聞いたことがあります。これを見ていた欧米の観客は、とても驚いたそうです。普通なら、打ち難い場所へ返して、そのまま優勝してしまえばいいわけですから。きっと、長い年月の間に、身に浸みついた日本の教えが、極限の状況で、咄嗟に出てしまったのでしょう。
国際社会を迎えたこれからの時代は、私達日本人も普段の生活を通して、どんな場面でも逞しく対応できる習慣を身につけることが求められてきそうです。
テニスに、ヒッティングパートナーといった練習形式があります。これは、教える立場のコーチではなく、互いに、同じレベルの者同士が、相手のためにプレイをすることをいいます。これが上達する上で大変良い練習方法なのだそうです。
心の場合も同じです。国際化の波の中、地域社会や仕事場などで、『志』を楽しみながら、世界の一員として対等な立場で生きて行く練習が大切です。
最近のことですが、ネパールと、日本の富山の村の人々が、過疎という共通の課題を解決するために、協力し合い知恵の交流を重ねていると聞きました。大きな石をどう積み上げれば、景観を損なわず、河川の護岸工事が可能になるか、日本の江戸時代に築かれた技術に近い形を、逆に日本人が教わっていたことなのでした。
なつかしい愛情のやりとり
祖母が子どもの頃、我が家の縁側から鯨が潮を吹いている姿がよく見えたことを、アメリカの自然環境保護団体の方にお話をしたところ、うっすらと涙を滲ませておられたことを思い出します。
また、毎朝、太陽と共に起き、井戸やかまどなどに塩を供え、自然に感謝し、互いの幸せを願って生きていた祖母の姿も思い出します。お正月の鏡餅をつくときには、孫や近所の子ども達のために、一年分のほとくれ餅≠用意して、食べやすく切っては胸元に入れ、柔らかく温まった頃、学校から帰ってきた子ども達に何気なく声を掛け、手渡していました。きっと、子ども達にとっても、祖母にとっても心温まる安らぎの一時だったのでしょう。
日本の都会にも、こうした愛情のやりとりが復活するとともに、地域社会の人々のやさしい雰囲気が海外から訪れた人達にも感じられ、徐々に世界に広がる循環作用が生まれれば嬉しく思います。
私が描いている誰もが参加できるこの「夢広場」のような空間が、世界各地に生まれ、人々の痛みを和らげる役割を果たしてくれるのであれば、何と素敵なことでしょう。